有機合成化学は分子レベルでのモノづくりを追求する学問です。その歴史は古く、現代では「十分な資源と時間を注ぎ込めばほとんどなんでも作ることができる」と言われることすらあります。しかし私達が資源の限られた世界に済んでいる以上は、たとえ多くの人を救うことのできる医薬品を作るにしても、より効率的に、無駄なく合成することが求められます。また創薬、ケミカルバイオロジー、マテリアルなど幅広い応用分野で活躍する有機化合物ですが、その多くの領域では簡単に用意できる分子ばかりが広く利用されているという面もあり、無限に広がる有機化合物の多様性が十分に活かされているとは言えません。私たちは主に新しい有機化学反応を発見、開発することを通してこれらの問題解決に向けて貢献したいと考えて、特に独自の触媒や反応剤の設計や開発に焦点を当てて研究をおこなっています。現在は主に以下のようなテーマに取り組んでいます。

  1. 遷移金属触媒を用いた炭素–水素結合の直接的官能基化反応(C–H活性化)
  2. 光触媒(Photoredox Catalyst)と遷移金属触媒を組み合わせた新規触媒系の研究
  3. 高反応性超原子価ヨウ素試薬による有機化学反応
  4. 外輪型キラル二核ルテニウム触媒

1. 遷移金属触媒を用いた炭素–水素結合の直接的官能基化反応(C–H活性化)

 有機化学の授業で習うように、有機化学反応は主にアルケン、アルキン、ハロゲン、カルボニル基、ヒドロキシ基、アミノ基といった官能基上で起こります。したがって逆合成解析においては、結合を作りたいところには足がかりとなる官能基をあらかじめ用意しておく必要があります。一方で有機化合物に無数に存在する炭素-水素(C-H結合)を自在に別の官能基へと変換することができれば、単純な炭化水素などの原料から単工程で効率的に目的とする分子を組み上げられるようになるはずです。このような反応はC-H活性化(C-H activation)やC-H官能基化(C-H functionalization)と呼ばれ、現在世界中の研究者がしのぎを削って研究を進めています。

 私たちは主に第9族遷移金属であるコバルト(Co)、ロジウム(Rh)、イリジウム(Ir)使ったC-H活性化の研究をおこなっています。特に高原子価(+3)の金属中心とシクロペンタジエニル配位子(Cp配位子)をもった錯体触媒を利用しています。私たちは世界に先駆けてCp*CoIII触媒がC-H活性化に利用できるということを発見し [ACIE. 2013]、その後この触媒は世界中の研究者が利用するところとなりました。私たちはコバルトとロジウムの違いに着目し、コバルト特有の反応性や選択性にフォーカスした研究を進めています。

 またロジウム触媒やコバルト触媒とキラルな有機分子を組み合わせた不斉C–H活性化/官能基化反応の研究をおこなってきました。少量(触媒量)のキラル源から多量のキラル化合物を得ることのできる不斉触媒反応は、医薬品等の複雑な骨格を効率的に作る上で非常に重要な手法です。私たちは金属触媒に直接キラリティを導入することなく、利用しやすいキラルスルホン酸やキラルカルボン酸、キラルLewis塩基触媒を用いることで、これらがロジウム触媒やコバルト触媒と協同的に働いて機能することを明らかにし、様々な不斉合成反応を報告しています。

代表的な論文
コバルト触媒によるC–H活性化
不斉C–H活性化/官能基化
電子不足Cp配位子を活用したC–H活性化

2. 光触媒(Photoredox Catalyst)と遷移金属触媒を組み合わせた新規触媒系の研究

 現代社会を支える化学製品や医薬品などの高付加価値物質のほとんどは、熱エネルギーを駆動力とする「熱反応」により生産されています。しかし近年、太陽光に由来するクリーンかつ無尽蔵なエネルギー源である可視光を活用し、特異な化学反応を実現する「光触媒反応」が多く報告され、モノづくりにおける画期的な方法論として熱い注目を集めています。

 私たちは光触媒反応を武器に、「ありふれた元素の隠された可能性を引き出す」ことに注力しています。例えばコバルトは安価で多量に入手できますが、熱反応の触媒として活躍する例はいまだ限られています。驚くべきことに、コバルトは光により活性化すると、触媒としてより一般的に用いられる希少金属(ロジウム、イリジウム)を凌駕する優れた性能を発揮することを、我々は世界に先駆けて発見しました[ACIE. 2019]。

 熱反応を主軸とする化学では見過ごされてきた分子も、光の下では全く新しい表情を見せはじめます。持続可能性に優れた方法論として、また熱反応とは一線を画す新たな化学反応の発見を目指して、光反応の可能性を追求したいと考えています。

代表的な論文

3. 高反応性超原子価ヨウ素試薬による有機化学反応

一般に分子の中の典型元素はオクテット則を満たすように共有結合を形成しますが、第3周期以降の元素ではそれ以上の共有結合を作ることがあり、そのような化合物は超原子価化合物と呼ばれています。超原子価ヨウ素化合物は3つ以上の共有結合をもつヨウ素原子を含む化合物であり、有機合成化学反応でも重金属を含まない反応剤として頻繁に利用され、市販されている試薬も多数あります。そのような超原子価ヨウ素化合物の多くは1つ以上の芳香族置換基をもつ有機超原子価ヨウ素試薬であり、安定で取り扱いやすい一方で、反応性は高くありません。

 私たちは炭素–ヨウ素結合を含まず、代わりに3つの酸素配位子をもった超原子価ヨウ素反応剤である ITT (iodine tris(trifluoroacetate))やiodine triacetateの高い反応性に着目し、これらを利用した有機化学反応を研究しています。これらの試薬はアリールSi/Ge/Sn試薬やホウ素試薬と温和な条件で反応し、直接的に有機超原子価ヨウ素化合物を与えることを見出しました。さらに得られるスピロ型のヨードニウムイリドを利用したアスタチン化反応を報告しました [OBC.2021]。アスタチンは周期表でヨウ素の下にあるハロゲン元素ですが安定同位体が存在しません。サイクロトロンで作られるα線放出核種であるAt-211はがん治療への応用が期待されており、現在共同研究グループとともにその応用研究にも取り組んでいます。

 またITTの非常に高い反応性を活かした反応開発もおこなっており、テトラアルキルシランを低温で酸化できることを報告しました [JACS. 2021]。有機シランをアルコールへと酸化する反応は玉尾・フレミング酸化としてよく知られていますが、一般に単純なテトラアルキルシランの酸化は困難であり、ITTの高い反応性をうまく利用した反応となっています。

代表的な論文

4. 外輪型キラル二核ルテニウム触媒

 2つの隣接する中心金属原子を4つのキラル配位子が取り囲む構造をした外輪型(paddle-wheel)錯体の中でも、キラル二核ロジウム錯体は、触媒的不斉合成の分野で広く活躍しています。私たちは中心金属として2つのルテニウムをもつ二核ルテニウム錯体が優れた不斉触媒として機能することを見出し [Nat. Catal. 2020]、それを利用した反応開発に取り組んでいます。二核ルテニウム錯体はロジウム錯体より高い酸化数をもつカチオン性の錯体であり、その高いLewis酸性や酸化耐性などに注目して研究を進めています。

代表的な論文